音楽が好きと言うこと

ココロとカラダの癒しエデュケーター
シータヒーリングインストラクター
アレクサンダー・テクニーク教師
中條マキコです♪

~自分と音楽の関係を探究する。その2~

先日、演奏中に素敵なことが起こりました。
3ステージのライヴのたった1小節だけ、唄うことができたのです。

私の言う「唄う」というのは、たとえばCDなどを聞いていてベースのソロの部分で、声で唄っているかのようにベースのフレーズが聞こえること、関心するようなフレーズではありませんでしたが、それと同じ聞こえ方がしたのです。

ずっとそういう風に弾けたらいいなと憧れていることでした。
嬉しいのと同時に、自分にできるはずのない事なのに!という驚きがありました。

Jazzの練習を地道にきちんと積み重ね、コピーも勉強も沢山して、たくさん聞いて弾いて、そういうことをしないと絶対にできない事だと思っていたのです。
しかも、そう思いながらも自分はそういう努力をやりたいとかやろうとか思うだけで「できない性分」で、それは変えられないものだと思ってきました。

その性分はベースを始めてからずっと、自分の楽器上達を阻む壁として存在していました。

自由に弾くというのができなかったこと、自分が続けたいと願ったバンドをやめる決断をしたのもその性分をどうにも変えられなかったからで、ずっと自分は「本当は音楽が好きじゃないのかもしれない」と思いつづけてきました。

Jazzを習うには最高の師匠に恵まれながらもそういった努力ができず、いっこうに上達しないのも、その性分を持つ故で、きっと自分にとって「音楽は自分に一番向いていない事」だからなのだと思ってきました。

それでも一緒に音楽をやってくれる仲間もいる、演奏はそれなりに楽しいし、面白い、それで十分じゃないかと考えていたのです。

でも、自分が演奏をするうえで見たいはるか上の方にある景色、たぶんこの性分を持つ自分は、確実にそこには行けない、だってそこに至るためにしなきゃいけないことを、気持ちがあると言いはするものの、できないしやらないというしょうもない性分なのだからと。

しかし、たった1小節だけど自分がやりたいと憧れていたことができたことで、今までゼロだった可能性のメモリが、数値に出来ないくらい動いた、ゼロではなくなったと思いました。

そういうことができたのは、ライヴで思わず涙ぐんでしまった時から半月くらい後のことで「音を出すことにまつわる何かが好き」ということを認識したことと、少なからず関係はあるだろうと思いました。

ひょっとしてこの、自分が音楽をやるうえで超えられない、変えたいと思っていた性分、それを変えたり超えたりしなくてもそこに至る道はあるんじゃないだろうか。
自分がダメなのではなく、別のものが自分の邪魔をしていたのではないだろうか?

「自分は音楽を好きじゃないのかも」「音楽は自分に一番向いていないかも」
この考えの向こうに何があるのか知りたくなりました。

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