音楽と自分の関係

ココロとカラダの癒しエデュケーター
シータヒーリングインストラクター
アレクサンダー・テクニーク教師
中條マキコです♪

~自分と音楽の関係を探究する。その3~

会社から家に帰る途中の、渋谷駅の雑踏でふと、アレクサンダーテクニークを教えている自分という将来を思い描いてみました。

生徒さんは音楽家で楽器を手にしている。

生徒さんの望みは楽器を弾くこと、でも、私は楽器の弾き方を教えているわけではない、音楽を教えているのでもない。

ただその体の使い方に関しての観察をし、望みに役立つものを提供しているだけ。

音楽とは、ある意味1枚仕切りを隔て、でも音楽にものすごく近いところで、アレクサンダーテクニークを教えるのだと思った時、何か小さな驚きがありました。

そして何かハッキリとはわからないけれど、音楽に関することで自分に押し付けていた選択肢があったこと、それをたった今手放したことを自覚したのです。

そしてそれから半日ほど、身体がなにやらふわふわとした感覚を覚え、自分の身体に対する気づきが繊細になる瞬間があったりしました。

自分でも気づいていなかった、手放した思考とともにあった緊張が解けたのかしらんと思いました。

自分は音楽を仕事にするという望みは全く持ったことがないので、そういうものを捨てたのではない、とすると、いったい何を捨てたのか、選択肢と感じたものが何なのかよくわかりませんでした。

後々考えて思ったのは、音楽に対する偏見を捨てたのではないか、ということ。

「音楽っていいね」というような言葉が示すように、音楽は「素晴らしい」もの、その素晴らしい音楽にリスナーとしてプレイヤーとして打ち込む、ということが音楽を好きと言うこと、音楽を好きという選択肢にはそれしかないと思っていたのです。

そして、音楽にリスナーとして、プレイヤーとして打ち込むことができない自分は、音楽が好きじゃないのかも、自分に一番向いていない事なのかも、と思い込み、信じていたのです。
好きなものを好きと言う方法がわからない、というような状態だったのではないかと思いました。

しかし、アレクサンダーテクニーク教師として演奏家にかかわると想像した時、いままでより音楽に近いところ、音楽の生まれる傍にまで寄り添えると気づいたのです。

音楽そのものを教えるのではないにもかかわらず。

自分が思う「好き」という距離感をそうやって音楽との間に持てるんだと思いました。

たぶん自分は人が音を出す、その部分にものすごく興味があって好きなんじゃないだろうか。
ではプレイヤーとして他人と一緒に音を出すことはどう?と、おそるおそる問いかけてみたら、今までに感じたことないくらいワクワクしました。

いったいどういうことなんでしょうか?

だって人が音を出すことを音楽っていうんじゃなかったっけ?

じゃ、私はいったい音楽をなんだと思っていたんだろうねぇ。。。

なんだかいまになってみると間抜けな話にしか思えませんが、自分が何かから解放されたことは確かだと感じました。

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