8月2日 #0034

ココロとカラダの癒しエデュケーター
シータヒーリングインストラクター
アレクサンダー・テクニーク教師
中條マキコです♪

この時期に聞く
「平和」という言葉に
どうしても連想してしまうので
書いてしまうことにした

毎年父は
8月2日に靖国神社へ行く

2008年にmixiで一度
書いた話なので
読んだことある方もいるかも。

———–
【3日目最終日】

私には、
会ったことのない
母方の叔父オオスケさんさんと
父方の叔父フサイチさんがいる。

二人とも戦死してしまって
帰ってきたのは
空っぽの骨箱や
紙切れの入った骨箱
だけだったそう

私の世代で
親や叔父叔母たちが
戦争を体験している
というのも
ちょっと珍しいかもね

両親とも80代
二人とも兄弟が多いうえに
年の離れた末っ子だったので
兄弟たちはまさにその世代だった
という理由

オオスケさんは28歳で
終戦直前に満州から沖縄へ出征し
今も沖縄のどこかに眠っている

フサイチさんは17歳
徴兵年齢に達していなかったにもかかわらず
愛国心を半ば強いるような世間の流れで
志願し、出征して戦死

昔から、祖母と父は
靖国と、淡路島へ
慰霊に訪れていた。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/yoka-takara.htm

フサイチさんはこの
宝塚海軍航空隊(予科練)にいたのだと思われる。

何が起こったかを要約すると、
平均年齢15,6歳の予科練生109人が乗った輸送船が
8月2日、淡路沖で米戦闘機に急襲され、
82人が戦死、生還者27人。

そしてこの
82人の中のうちのひとりになった

あるとき、この淡路島で行われる慰霊祭に同行した私の母は
慰霊祭の会場でたまたま隣に座った男性と話を交わす。
彼はその生還者のうちの一人だったらしい。

男性が語るには、あの日、輸送船の中で予科練生たちは、
やっと敵と戦える、と喜び合っていたそう。
それを耳にした上官が
「本当に敵と戦えるとでも思ってるのか。。。」
と口にするのをこの男性は聞いたそうだ。

上の記事を読めば、
最初から実戦に出るための要員ではなかったらしいが
もちろん上官はそのことも
自分たちが目的地までたどり着けることもなく
出航すればすぐ襲撃されて沈むことも知っていた

祖母や父は、慰霊祭に出てはいても
そんな話を聞いたことはなかったらしい。
直接の遺族にはとても言えなかったのだろう
実際は、襲撃されて死ぬのは
承知の上での出航だったということ

この慰霊碑のあるお寺の方の話によると
犠牲になった少年たちの遺体が次々と淡路の海岸に流れ着く、
その顔がみなあまりに幼なくてかわいそうで
遺体を引き上げながら地元の人達は涙したと

これが
70年前の夏に起きた
たくさんの中のひとつの話

***
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