みなさんこんにちは!
もっと弾ける可能性をグンと広げる!
動きのアイデアをおすそ分け♪
「腕と手の動きトレーナー」中條マキコです
演奏をしていると、お客様から褒めていただけることがあります。
そういう場合は意外と素直にありがとうございます、とその言葉を受け取れるのに、ミュージシャン仲間、とくに自分より上手い人なんかに「よかったよ」と言われたりすると、恥ずかしい上になぜか緊張モードに入ってしまいます。
褒められてるのになぜ緊張するのか?
それをレッスンで探究してみることにしました。
いやいや私はまだまだですから!全然だめですから!私なんか!と全力で否定し、上手いと言われたことを固辞しようとするる。
せっかく褒めてくれた人に向かって、あんたは嘘つきだ!と言うようなもので、実は失礼なことをしているとは思うのですが。
なんかもっと、素直に受け止める方法はないものでしょうか。
さて、相手がどうしてそう言うのか、を考えてみます。
「相手はただ、何かに反応しているだけなのかも」
そう聞いたら、不思議となんだかちょっとホッとしました。
たとえば犬が好きな人が散歩をしていて、散歩する犬を見つけたら、ににこにこするのと同じ。
にこにこするのは相手の事情。
良かった、感動した、と思うのもその人だけの事情なのです。
その人の何かに、自分の何かが触れ、キラキラと反応した。
それを教えてくれただけ。
とってもシンプルな出来事
「上手いね」とか「いいね」とかいうのは、その人がそう思っただけ。
犬が歩いてるねぇ、きれいな薔薇が咲いてるねぇ。風がさわやかだねぇ。っていうのと同じ。
それを、本当に咲いていたのは薔薇だったのか?本当にきれいだったのか?
きれいということの条件とは?何色がきれいなのか?
というように、絶対的な基準があると思ってその基準に照らし合わせはじめると非常に窮屈になってきてしまう。
絶対的な基準なんて存在しないのです。
上手いというのは、もっと練習したり才能がある人が受けられる賞賛。
私はそこまで練習してないから、才能がないから、熱意がないから上手いと言われる資格はない。
激しい自分へのダメだしも、自分を緊張させます。
相手は本当に心の底からそう思っているのか?
それは決して判明することはありません。人の心の中ですから。
本当にそう思った、とそう思わなかった、は同じだけの可能性があります。
確かめることは永遠に不可能です。
言った本人にももしかしたらわからないかもしれません。
ただ一つの事実は、その人が何かこちら側のものに対して、反応した、ということ。
光をうけてキラキラと、その人の何かをきらめかせた。
ただそんな素敵な出来事なのです。
それを楽しみ、嬉しく思い、素直に受け取る。
次の機会はそんなことができそうな気がしてきました。